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境内のご案内
本殿
倭姫命は、鈴鹿大明神です。 社伝の一つに、古くは鈴鹿宮という奥斎宮のような宮があり、倭姫命が居られたとの伝承があります。また、平安時代に阿須波道が開通してからは、伊勢神宮の斎王が群行されるルート上となり、頓宮が鈴鹿山に設けられたとの伝承もあります。延喜式からは、斎王が伊勢国にお入りなる堺で潔斎をされていたことは明らかなようです。
瀬織津姫神は、鈴鹿太神です。
1999年に旧本殿が焼失した後、しばらく本殿がない状態がつづきました。そして2015年、再び火災に遭わぬことを願い、石造りで再建が果たされました。氏子の高齢化もあり、急な石段を登るのが大変なため、門を入ってすぐの場所に新しく建てることとなりました。
旧本殿跡
1999年に本殿と拝殿は全焼しました。今、この空間にはなにもありません。けれど、だからこそ見えてくるものもあります。この真上のほうに鈴鹿山の磐座〈鏡岩〉がそびえています。目の前の岩肌、そして足元の地面は、鏡岩につながる岩山の一部です。国道が通ってはおりますが、その岩の身体に包まれている感じがいたします。

境内社
稲荷社
稲の穀霊である宇迦之御霊神をお祀りしています。五穀豊穣や商売繁盛の神です。
愛宕社
鏡岩に伊弉冉尊(いざなみのみこと)が顕われたので、本殿のそばに仮殿を建てお祀りしました。それが愛宕社(あたごしゃ)です。伊弉冉尊社とも呼ばれます。また、鈴鹿山の「地主の神」を祀ります。伊勢参宮名所図会には「愛宕社は鈴鹿姫の霊」とあり、地主神とは鈴鹿姫でありましょう。
鈴鹿川
境内の横を流れているのが、鈴鹿川源流の一つとなる谷川です。現在はこの谷川で大祓式が行われます。この源流域から流れ出て、鈴鹿川の本流となって坂下地区の集落の間を縫うように流れくだっていきます。旧・東海道もその流れに添うようにあります。古くは、「鈴鹿川八十瀬(やそせ)渡りて…」などと、多くの瀬があることを和歌に詠まれました。延喜式によりますと、鈴鹿川は昔の斎王が伊勢神宮に赴かれる際、祓いを行う川の一つでした。
鈴鹿川は伊勢平野を流れる一級河川であり、伊勢 湾に流れ出ます。伊勢平野にくらす人々の生活を支えている、たいせつな川です。たくさんの命を育んでいる宝です。
鈴鹿峠
旧田村社跡
「峠の田村神社」は837年、久子内親王の令旨により鈴鹿頓宮の際に建てられ、祀られました。最初の社地は1405年の洪水と地震で埋まったため、同じく峠上の別の場所に遷りました。今、石標が立っているところです。かつては毎年塚を設け、「疫神祭」を行っていました。参詣の里人は、麻呂山から追儺の大豆と紙銭を投げ厄災の祓いをしました。寛永年間に焼亡し仮の小社になり、1907年(明治40年)に片山神社に合祀されました。元禄年間の社伝が今も残っています。
なお、1405年に埋まった、もとの社地は魂屋(たまや)と言われていました。 そのあたりは、古くは「朝日照る夕日輝く白砂寄尾」と呼ばれた平原でした。古代からの鈴鹿峠上の祭祀場であり、旧・田村社のほか、鈴鹿頓宮、そして片山神社のもとの鈴鹿社がありました。1405年の山崩れ等で地形は大きく変わり、明治以降は植林で森ができましたので、今の峠上の景色は当初のものとは全く違うと思われます。
鏡岩
鈴鹿山(鈴鹿峠)の頂上の南側、珪岩(けいがん)断層面の縦横2メートルの岩肌。風化や延焼で鏡面を失っています。鈴鹿山を象徴する磐座です。1294年(永仁2年)、この鏡岩の根元あたり、多津加美坂(立神坂・たつかみさか)の途中を新たに宮地と定め、神殿を建てました。これが現・片山神社となります。
室町時代、1418年の『耕雲紀行』に、鈴鹿姫が投げ上げた立烏帽子(たてえぼし)が鏡岩になったと綴られています。また、そのふもとに社を建てて巫女がこれを祀っているとあり、これが片山神社の室町時代の様子なのでしょう。 鏡岩は、片山神社にとって極めて重要な霊石です。
三子山
瀬織津姫神、氣吹戸主神、速佐須良姫神の三神(祓戸大神)が顕われた山が三子山です。三つの山頂がきれいに並ぶ、秀麗な山です。西南の峰に速佐須良姫、東北の峰に氣吹戸主神、中央の峰に瀬織津姫神がおのおの鎮座されました。
三子山の山中に、三神をお祀りする社がありましたが、野火の災難により、鈴鹿社と合祀されて新たな神殿に神靈が遷されました。そして現在の片山神社に至ります。
