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当社について

御由緒

延喜式内小社 片山神社は坂下の鈴鹿山の中腹に御鎮座し、神号を鈴鹿大神と崇め奉ります。

古くは、三子山山中に御鎮座する片山社がございました。

また、鈴鹿峠の上の平原に「朝日照る夕日輝く白砂寄尾」という地があり、鈴鹿社、田村社、斎王の頓宮があったと伝えております。頓宮とは、神宮の斎王が潔斎し滞在した臨時の宮のことです。そのあたりは鏡岩という磐座(いわくら)もありますので、神事をおこなう斎庭(ゆにわ)であったと思われます。白い砂地に、朝に夕に光が映える素晴らしいところであったと想像いたします。

三子山に御鎮座の片山社には、瀬織津姫神・氣吹戸主神・速佐須良姫神の祓戸の神様がお祀りされておりました。祓戸の神は、人々が行ってしまった罪を祓い、お清めくださる神々です。

また、鈴鹿峠上にあった鈴鹿社には、倭姫命がお祀りされておりました。古老の伝えによると、倭姫命が天照大神の宮所を求めて各地をおたずねになり鈴鹿郡にお入りになったとき、白雲がそびえる三つの連山を眺められました。倭姫命はその山をとても愛され、白雲三向山と名づけられましたが、それが今の三子山であるということです。このような御縁などによって、鈴鹿峠に倭姫命をお祀りしたと伝えられております。

同じく峠上の田村社ですが、古代の征夷大将軍、坂上田村麿命がお祀りされておりました。

さまざまな変遷を経て、永仁二年(1294)二月、三子山に野火の災いがあったのを機に、鈴鹿山の中腹、多津加美坂(たつかみざか)にある「現今の地」を整え、あらたに社地と定めました。そして、それまでの片山社と鈴鹿社とを合わせ祀り、「片山神社」と単称するに至りました。片山とは三子山の古名です。社伝では、片山社の祓戸の神々と鈴鹿社の倭姫命の四座を相殿に祀ったとあります。この時、当地、鈴鹿山に鎮座したことから神号を「鈴鹿大神」とあらため、「鈴鹿大明神」の号を奉りました。また世に鈴鹿権現と呼ばれました。


一方、田村社は長く峠上の同じところにありましたが、応永十二年(1405)六月、地震と洪水とによって山が崩れ社が倒れ、社地は土砂で埋まったため、峠上の別の地に遷されました。坂上の田村神社として伝えられております。もとあった、旧地の字は魂屋(たまや)と号しました。移転された社も寛永五年(1628)十月に炎上し、神宝・古記録・武将の願文が失われ、祭礼の儀式も絶え、その後は仮の小社となり明治を迎えることとなりました。

明治四十年から四十一年の間に、沓掛、市瀬の各社と、坂上田村神社、さらには境内二社(大山祇社・翁社)が合祀され、坂三郷(坂下・沓掛・市瀬)の氏神、村社となって現在に至ります。

平成二十七年に、焼失していた本殿がこれ以上の災難に遭わぬよう石造りにて再建されました。

片山神社はこの地に住む人々の氏神であるばかりでなく、街道を通る人々の安全祈願、近郊の地域からは雨乞や雷除け、さらには無病息災、安産祈願、家業繁栄の神社としても知られてきました。これからも、変わることなくお祀りし、この地に生きて有ることへの感謝を捧げたく存じます。

国立国会図書館『伊勢参宮名所図会5巻」鈴鹿山 鈴鹿権現社_digidepo_2563506_0027.jpg

[蔀関月] [編・画] ほか『伊勢參宮名所圖會 5巻』[2],塩屋忠兵衛 [ほか6名],寛政9 [1797]

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563506 (参照 2026-03-14)

​御祭神

  • 倭姫命(やまとひめのみこと) 〈鈴鹿大明神〉

  • 瀬織津姫神(せおりつひめのかみ) 〈鈴鹿太神〉

  • 氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)

  • 速佐須良姫神(はやさすらひめのかみ)

  • 坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと)

  • 天照大神(あまてらすおおかみ)

  • 速須佐之男命(はやすさのおのみこと)

  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

  • 大山津見神(おおやまつみのかみ)

境内社

稲荷社

  • 宇迦之御靈神(うかのみたまのかみ)

愛宕社

  • 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

  • 伊弉冉尊(いざなみのみこと)

  • 鈴鹿姫(すずかひめ)〈地主の神〉

​片山神社

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